中学校社会科教師Pikaryaの記録

中学校社会科教師4年目。「自由と自治」がモットー。学びのポートフォリオとしてのブログ。ホームページはこちら。https://www2.hp-ez.com/hp/bunburyodo/page1

ここ最近の感心 ①非認知能力について

久々に、うんと久々に、ブログ記事を書こうかな、と思います。

 

何で、ブログを書いていなかったのか、というと、そんなに深い意味はありません。一番の理由は、一回書かなくなってしまってから、忙しかったり疲れたりして文章を書き続ける気持ちが薄れてしまい、そのまま継続しなくなってしまった、という感じです。

 

うーん。振り返りを毎日、とか、リフレクションを毎日、とか、全然続けられない自分です。。もうチャレンジは何度もしているんですけどね。結局、1ヶ月以上、続けられた試しがありません。

 

ただ、そんな自分に、「仕方がないよなぁ、人間だもの」って、肯定的に諦めている自分もいてタチが悪い(笑)。基本的に、自分にアマアマなんですよね。

 

ということで、ブログが継続しませんでした。

 

さて、そんな中でも、1年間日常を過ごしていく中で、自分自身の日常や教育観、実践がどんどん変化していく日々を過ごしてきました。

 

どんな変化があったか、そろそろ整理していきたいな、と思います。

 

①非認知能力について

 

ブログを続けていた頃は、持ち上がりの学年の最後、3年生の時期でした。

 

その3学期。

 

自分は大きく反省することになります。子供達の姿を見て、自分は、子供達を伸ばすことができなかった、と強く思うことになるのです。

 

 自主学習や生活記録の提出を出すことができない。学校行事で体育館を準備する時に、皆に貢献しようとする意識で動けない。クラスの話し合いでは話し合いを仕切ろうとするリーダーを助けようという意識がない。背面黒板への教科連絡も教師の言葉がけがなければ書かれない。自分の話が子供達の底に入っていない。聞く姿勢ができていない。卒業式前、最後の練習まで頭がフラフラ、すぐに話し出す。最後の最後に怒ってしまいました。

 

 この3年間の営みを猛省しました。

 

もちろん、個別的には楽しく充実した日々を過ごしてこれたし、エロス的な面では、とっても充実していました。卒業式では、自分も生徒も大号泣。卒業式が終わっても、すぐには立ち直れないほど、あの子たちに、想いを寄せていました。

 

ただ、あの子たちを伸ばす・成長させるという教師のミッションの面では、自分の教育活動は、子供達を伸ばしていなかった。この中学校生活3年間を経て、子供達には何も残らなかったのかもしれない。そう思いました。

 

 思い返せば、当然のことだったのです。だって、子供達をどう伸ばしたいのか、が自分には明確ではなかったのだから。

 

「自由と自治」ということは頭にありました。ただ、それにこだわり切ることもできず、時には相反することを子供達に要求することもありました。自分の教師としての在り方には、全く一貫性がありませんでした。

 

 そこで、絶対にこんなことは繰り返してはならないと感じたのが2月くらい。同僚の先生にも話を聞いてもらい、アドバイスをもらいながら、新たな目標を、じっくりと、じっくりと考えました。特に、その時に読んだ本はこれ。

 

成功する子 失敗する子――何が「その後の人生」を決めるのか

成功する子 失敗する子――何が「その後の人生」を決めるのか

 
私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む

私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む

 

 

非認知能力について、考え続けました。

 

そして、現時点で、自分が到達した目標は下記のものです。

 

 教師としての上位目標

 ①生徒の認知能力・非認知能力を共に伸ばし、生徒の人生に貢献する。

 ②探究心と当事者意識に火がつく、生徒の人生観を変える授業を、日々実践する。

 

 学校に来る理由=社会に出るため(自立するため)

 学校の役割  =社会に出た時に必要な力をつける

 授業以外の役割=社会に出るために必要な認知能力・非認知能力を高めること

 

 高めるべき力(自分も含めて)

(1)やり抜く力

   目標に向かって、粘り強く挑戦と努力と工夫を続けられる生徒

(2)つながる力

   人を尊敬し、人に貢献し、人に感謝できる生徒

(3)自律・自治の力

   自分(たち)で考え、自分(たち)で判断し、自分(たちの集団)を、自分(たち)でより良くできる生徒

 

 (1)は、『GRIT やり抜く力』が理論的根拠になっています。

 

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 

ただ、もちろん本に書かれているから大事というわけではなくて、自分自身も、もっともモヤモヤしていた部分が、この非認知能力を知って、「あぁ、今まで必要だと明確に思っていなかったけれども、大切なんだなぁ」と問い直すことができたんです。例えば、物事をやり抜く上での自制心。粘り強く諦めず取り組む姿勢。今までは自由と自治が最上位概念だと思っていたけれども、それと同時に「やり抜く力」は絶対に育まないといけないな、と今は思っています。

 

 (2)はアドラー心理学を根拠にしています。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 
幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 自分は、アドラー心理学の考え方に強い親和性を持っていて、大学生の頃から生き方の一つの指針にしています。このアドラー心理学に、共同体感覚という概念があり、その中で、大切にされている考え方の一つが、他者貢献です。自分が誰かに貢献しているという感覚=貢献感を持てることが幸福感に繋がるという考え方が示されています。このような考え方をベースにして、「つながるということに関しては、決してコミュニケーション能力が高いことが必要なわけではない。尊敬をベースに人を見ることができる。人に貢献しよう思える。そして、感謝できる。この考え方がベースにあることの方が圧倒的に大事だと思う」という信念を、今の自分は持っています。「自由と自治」が、ただの自由奔放でわがままになってしまったのは、他者に貢献しようという意識が圧倒的に薄かったからではないか、今はそのように考えています。

 

 (3)に関しては、今までの自分が考えてきたことと一緒です。自分で考え、自分で判断する。自分たちの集団は、自分たちで作り上げる。自律的な生き方。自治的な生き方。教育関係者であれば、赤坂真二さんや岩瀬直樹さんが主張されるような、そんな自律的な個人に育て、自治的な集団を育んでいきたいな、と思っています。

 

自分の具体的な教育活動は、この3つの目標を達成するものになっていなければならず、「本当に自分の教育活動はこの3つの力を子どもたちにつけているのか?」と自己点検を繰り返し、また「自分の生き方は、この3つの力とは逆をいっていないのか?」と自分に矢印を向けていく。このようにして、教育活動を進めていかなければ、自分は変わることはない。そう決意をしました。

 

今のところは、この目指すべき生徒像が、自分の教育活動の根幹です。

 

これが絶対的に正しいとは思いませんし、これからもっともっと考え続けた結果変わっていくものとは思いますが、学級経営でも、授業でも、部活動でも、どんな場面でも、こんな子どもたちを育てたいという目指すべき目標を、非認知能力をベースにして、自分が納得いく形で築けたことは、この1年での大きな変化かな、と思います。