中学校社会科教師Pikaryaの記録

中学校社会科教師4年目。「自由と自治」がモットー。学びのポートフォリオとしてのブログ。ホームページはこちら。https://www2.hp-ez.com/hp/bunburyodo/page1

未来の先生展② サドベリーについて

八ヶ岳サドベリーのスタッフさんと生徒さんと直接お話しをさせて頂くことができました。
 
そこで、この前サドベリーに行った時に浮かんだ疑問が、お話を伺うことで、深く理解できました。
 
例えば
 

「ずっとゲームをしていても、それも学びって捉えるの?そもそも学びという概念がないの?」

 

という疑問について。

 

凄いなぁ、と思ったのは、この質問には生徒さんが一瞬で答えたんですよね。

 

「学びって自分が決めることでしょ?」

 

って。

 

電気が走ったなぁ。

 

そっかぁ。あんだけ学びは没頭だ、とか、主体性は大切だ、とか言っておきながら、自分はまだ学ぶ主体の外側から、学びについて語ろうとしている。

 

スタッフの方がおっしゃっていた

「今、彼が学んでいるかどうかってわかります?」

って質問。

 

うん、確かに、分からん。

 

たしかに、その人が学んでいるかどうかって、外から見ている自分には全く分からない。学びとは完全に、学ぶ主体のもの。

 

サドベリーの理念、凄いなぁと感動。

 

続いて

 

「話し合い中遠くでゲームしてて話を聞いていなくても評決には参加する。それって民主主義?」

 

これはスクールによっても扱いが異なるというか、提案するスタッフや生徒によって扱いが異なるよう。

 

提案者が聞いてほしい!と思えば、聞いて!と言う。

特に聴いている風に見えなくても良ければ、何も言わない。

 

対等な関係性の中で聞いてほしいと思うか、それに尽きるみたい。

 

俺は多分、聞いてほしいと思う。そして、聞いていないのであれば、評決に参加すべきでないと対等な関係でも思う。

 

でも、そうじゃない人もいる。

 

だから、そこで話し合ってルールが作られる。そういうものなのだと理解しました。

 

うん、表面だけ見たんじゃ分からんなぁ。話を聞いて初めて深く理解できた気がする。

 

最後。

 

「学びの世界が、各サドベリーの環境要因に大きく依存しないのか?」

 

つまり、池が近くにあるサドベリーでは釣りができる環境にある。ないサドベリーではできない。

 

サドベリーって、大きく環境に左右されるんと違う?

 

って思ったのだけど、そこは一言

 

「常に学びは開かれている」

 

サドベリーでは、何でもできる。何かできないのであれば、自分が動かないだけ。

 

価値観が徹底されている。

 

まだまだ理解不足がたくさんあると思うのだけれども、サドベリーの徹底された理念に感動を覚えた時間でした。